今朝(10月10日)の産経新聞が1面と4面を使って、
猛烈に「皇室典範改正」の困難さを訴える記事を書いている。
八木秀次の誤った考えを間に受けたプロパガンダ記事のようだ。
とにかく、これほどまでに典範改正は作業が膨大になるから、
天皇陛下の8月8日の「お言葉」は無視した方がいいという
主張としか受け取れない。
昨日(10月9日)「ゴー宣道場」では、高森明勅氏の皇室典範
改正案を発表して、法律家も交え、議論を行なった。
関連法は改正案そのものに比べれば大したことはない。
膨大な作業というのは嘘である。
安保関連法案の方が、はるかに膨大だったのに、あっという
間に通してしまったではないか。
この記事を評価するところがあるとすれば、政府は「一代限り」
と言っているが、憲法は皇位継承について「皇室典範の定める
ところによる」と規定しているため、皇室典範の改正は避けられ
そうにないと、はっきり書いていることである。
八木秀次と同じ見解だ。
だが、現実的に考えて、「生前退位は不可能でした」と政府が
国民に向かって表明することはあり得ないだろう。
国民の90%以上が、「生前退位」に賛成しているからだ。
しかも、今上陛下「一代限り」ではなく、将来の天皇にも適応
できる「恒久法」とすることに国民は賛成している。
それは当たり前のことで、天皇の高齢化は今後も続くのである
から、「譲位」を可能にしておく典範改正はもはや不可避なの
である。
この産経の記事の異常さは、「男系継承」を大前提にしている
ことで、「ゴー宣道場」で発表した「典範改正案」であれば、
「直系継承」が原則であり、男系も女系も公認する
「双系継承」であるから、皇位継承の安定性が2倍に拡がる
ことになっている。
ゆえに「皇太甥」という称号は必要ない。
素直に直系の愛子さまを「皇太子殿下」にすればいいのだ。
愛子皇太子殿下に関しては、天皇陛下、皇太子殿下、秋篠宮殿下
の3者には合意ができているので、それが秋篠宮さまのご意思
でもある。
産経新聞4面は伊藤博文が「譲位」を退けた理由を書いて
いるが、「院政による皇統危機」とか「南北朝動乱」とか、
現代では通じない危惧である。
なぜなら明治初期には天皇制がどのようなものになるかが、
まったく見えなかった時期である。
現代では、「象徴天皇制」として、ある意味、天皇制の在り方
がようやく確立しかかっている状態である。
今上陛下が「院政」を敷いて、特定の政治権力と結びつき、
国が二つに割れるなんて前時代的なことは起こらない。
伊藤博文と井上毅が議論して、伊藤が「譲位」を退けた会議は
「高輪会議」と言われるが、この頃はまだ西南戦争から10年
しか経っていない。
自由民権運動が全国的規模で盛んになって、国会開設の勅諭
が出た明治14年以降は、全国で激化事件が起こり、薩長藩閥
政府はとても安穏としていられる状態ではなかったのである。
伊藤は自らが「玉」を取って幕府を倒したのだから、「上皇」
を作れば、そちらを「玉」として政府と戦う者たちが出現
しないとも限らない。
だから「譲位」を不可とし、「終生在位」にしたのだ。
高齢化社会に対処するには、「譲位」を認めるしかない。
天皇が100歳で崩御して、皇太子の即位が70歳という事態
だって生じかねない。
「譲位」なしでは、とても「象徴天皇」を次世代に繋ぐという
機能は果たせないのだ。
産経は「GHQも退位認めず」と書いているが、憲法の議論では
GHQの権威を否定する産経新聞が、なぜ皇室典範ではGHQの
権威を傘にきて論じるのか?
みっともないにも程がある。
「天皇に私なし、すべてが公事」というのはその通りだろう。
8月8日のお言葉も、全然「私事」ではない。
すべては「象徴天皇の機能が安定的に継承される」ことを
願って国民に語りかけられたお言葉である。
私が疲れたから譲位させてくれという「私事」では全然ない
ということは、国民の共通認識にしなければならない。
産経新聞の記者、奥原慎平と田北真紀子は「ゴー宣道場」に
来たらどうだ?
我々と議論してみる勇気はないのか?
わしはいつでも招待するぞ。